Call me Iqo.Pls!

月→土勤務の外資系風バリキャリ妻と元気いっぱいの2人の息子たち。2012年度、2017年度と2回育休を取得。育児ブログです。

祭りのあとに感じる違和感。

季節はもうすっかり秋。

秋と言えば収穫の季節。

収穫の季節と言えば豊作を祝う秋祭りである。

 

お友達に誘われてナツオ@5歳も近所の秋祭りに参加してきた。

ナツオにとっては初めてのお神輿。

朝はいまいちなテンションのナツオだったが法被を着せてもらうと一気にテンションMAX。

ただしテンションあげる為には一つの儀式が、仮面ライダーゴーストのように着せてやらなくてはいけないというのが面倒くさい。

ナツオに「変身!」と叫ばせ、私は「ばっちーら、ばっちら」とか言いながらひらひらと法被を漂わせてからはおわせていく。

実にめんどい。

 

東京在住の我が家ではあるが下町ではない。

江戸っ子とは無縁な地域と思っていたがやっぱり祭りは違う。

集合場所に向かうといかにもお祭り大好き!酒と喧嘩が江戸の花よ!なんて言いそうなおじさんがたくさんいらっしゃる。

みなさん地下足袋とはんてんがよく似合ってらっしゃる。

動きやすいようにと思って、ハイテクスニーカー&コンプレッションウェアで来てしまってごめんなさい。

陸王もドラマ化なことだし時代は足袋ですよね。

 

子ども神輿が目的なのでナツオには頑張ってもらうつもりだったが、少子化は深刻なようで子ども神輿の担ぎ手はわずか4人!

子どもはもっといたのだが、ナツオよりも小さい子は太鼓や山車に、小学生はもうちょっと立派なお神輿へ行ってしまったので年中・年長さん用のお神輿の担ぎ手はたった4人。

いくら軽いととは言えお神輿である。

4人ではとても無理で、子ども達は4人揃って前へ。

そして写真撮影する気満々だった私が一人で後ろを担当することに。

およそ30年ぶりにお神輿を担ぐことに。

しかし、こちとらサラリーマン生活ももう15年。

お神輿は30年ぶりかもしれないが神輿ならば毎日のように担いでいた。

それに横浜に東京にとコンプレックスの塊である相模の国出身。

江戸っ子には負けられない。

子ども達の可愛らしい声をかき消すかのように大声を張り上げる。

「わっしょい!わっしょい!」

 

地域のお祭りなだけあってそれぞれの地区でお神輿が出ており、大きな通りではそれぞれのお神輿とすれ違う。

正面からこれまた凄そうな風格の方達のお神輿が登場。

お祭り野郎というよりかは任侠な世界の方々としか思えない集団。

街で遭遇したら確実に目線をそらすような人達。

と思っていたら突然「ナツオ君!あっ、イクオさんも!」と呼び止められる。

その筋の界隈の人にお知り合いなんていらっしゃったかしらときょとんとしていると、保育園のパパ友。

あやうく「人違いです。」なんて言うところだった。

聞けば今年からの初参加らしいが既になじんでいる。

地元出身であろうがなかろうがこうして祭りは受け継がれていくのか。

 

我々は子ども神輿中心だったので午前中で解散。

解散時には鉢巻と引き換えに「子ども祭り参加券」をいただいた。

そして引き換え所にはものすごい数の子ども達。

お神輿参加者の2倍はいるのでは?

そして子ども祭り参加券をいただいたものの呆然としているとお友達が説明してくれた。

15時から小学校でお神輿参加者を対象にした子ども祭りを開催し、この参加券がある人が参加できること。

参加券と引き換えに「かき氷券」「射的券」「焼きそば券」等々を渡されるので無料で食べられたり遊べること。

そして地区によって子ども祭りの場所は公園だったり区民会館だったり異なるがシステムは同じとのこと。

 

いったん休憩し、参加券を持って子ども祭り会場へ。

とっても賑やかな世界で楽しい。

お神輿を担いだという達成感も心地よい。

しかしこのシステム、合理的と言えば合理的であるが違和感を感じてしまう。

会場は小学校の校庭だったり公園だったりと公共の遊び場。

当然ながら何も知らない普通の家族連れがやってくる。

何も知らない子ども達は遊べると思って列に並ぶが参加資格がないことを知って泣きじゃくっていたりする。

そうならないように入口で参加券の確認をしている公園もあったが、公園であるのにこの日ばかりは参加券がないと入れないと知って困惑している人も。

ただの公園なのに。公共財なのに。

ナツオと一緒に楽しみながらも視界の端にそんな親子が見えるとなんだかいたたまれなくなってしまう。

フリーライダーを防ぐ為のシステムとは言え、なんだかなぁ。

小さくてもいいからお神輿の事務局のテント内で開催するとかすればいいのに。

中途半端に時間を置いて、しかも学校や公園で開催するからこんなモヤモヤが残ってしまう。

 

そんなモヤモヤを仕事から帰ってきた妻にぼやくと、

「これが普通でしょ。公平じゃない?」と返される。

 

公平だけど、公平なんだけど公正ではない気がする。

少なくとも妻が子ども神輿を担いでいた30年前からこのシステムはあったらしく、これがこのあたりでは当たり前のよう。

そして地区ごとに子ども祭りは内容や時間も異なっており、また子ども神輿は基本的に地域在住ならば地区在住にこだわらず参加OKなので複数のお神輿に参加したり、参加資格となる鉢巻だけもらってまわる人もいるみたい。

私の地元ではお祭りのあとの子ども祭りはなく、お神輿が終わったらその場でお菓子や花火をもらって解散であったので、このお祭りのあとの祭りが不思議でしょうがない。

この公平だけど公正なシステムも。

 

こんな時代だから参加券と引き換えの鉢巻がメルカリで取引きされていたりするんだろうか。

子ども祭りはとても楽しかったが、何も知らずに無邪気に参加しようとして断られていた小さい子とその親の哀しい顔がどうしても忘れられない。

 

誰も悪くないし仕方ないんだけど。

祭りのあとだけにしんみりとした純情な気持ちになってしまう。

それとも「祭りのあと」だけに、

恋も涙も純情も 生きるためには捨てよう

ってことなんだろうか。