本日は2015年に亡くなった父の命日。
肉好きな父が29日に亡くなったのも何かの運命だと思い、月命日は肉の日でもあるので肉を食べて弔うことを弟と決めている。
命日を迎えるとどうしても父の最期を思い出してしまい、後悔は全くないものの何とも言えないもやもやに襲われる。
私の父は上顎洞癌なるとてもマイナーな癌だった。
鼻血があまりにも出すぎる&眼がとても腫れぼったいという状況で病院に行ったら、癌、しかもステージ4と宣告されていた。
鼻の病気でも眼の病気でもなく癌。
しかもステージ4。
本人には事前に伝えていたようだが、改めて本人同席で主治医より説明の場があった。
そこで主治医は本人を前にして、
「ステージ4です。手術は無理なので放射線治療をしてみますが、治る確率は1パーセント、いや、100分の1は言いすぎだ、1万分の1以下です。失礼。」と言われる。
どう考えても最終宣告だろこれ。
イキガミか!
当時も思ったが100分の1を1万分の1に訂正する意図がわからない。患者を目の前にして。
患者にへたに希望を与えない為の良心なのかもしれないが、回復確率1パーセントでも十分に絶望を与えてくれている。
それが60歳の誕生日を迎えて1週間後の8月27日の出来事。そして、年内がヤマだと言われていたものの、若いだけに癌の成長も早くその約1ヶ月後に父は亡くなった。
父の死についてショックや後悔はないものの、もやもやが残るのはその最期。
想定以上のスピードで弱っていく父。
死期を悟り始めたのか大部屋から個室への移動を希望する。病院からも個室をやんわりと勧められる。
しかし誰が差額ベッド代を支払う?
○○日間と確実にわかっていれば用意も覚悟もできるが、そのまま数ヶ月もとなるとこちらの生活にも関わってくる。
申し訳ないが大部屋で我慢してもらう。
そんな父のいよいよ最期の日。
私は社外研修の為に外出していた。
その研修中に職場よりメールが届く。
「病院より職場に連絡あり。お父さんが危篤状態とのことなので早く帰宅せよ。」
とりあえず病院へ連絡すると父はもって30分なので急いでくださいとせかされる。
しかし、研修先の神田から神奈川の病院まではどんなに急いでも2時間半はかかる。
どう考えても間に合わない。
病院に事情を説明して、なるたけ急ぐが時間がかかってしまうことを理解してもらう。
余命30分に対してどう頑張っても2時間半。
物理的に絶対に無理だとわかると気持ちも落ち着いてくる。
適当なタイミングで研修先を退出し、都内で働いている弟と合流。電車を待つ間にこれからのことについて少し作戦会議。
そして父のもとへ。
病室で愛人と鉢合わせたらどうしようかと余計なドキドキが邪魔をする。
しかし病室に行くと父のベッドだけもぬけの殻。
聞けば他の患者さんのこともあり、最期の最期は空いていた部屋に移動させたとのこと。
案内されるままそちらに行くと父の姿が。
意外に温かい?
臨終の時間を聞くとわずか20分前。
残り30分だと宣告されてからさ3時間近くも生存していたということ。
というか、連絡を受けてダッシュで帰れば看取りには間に合っていたということ。
歴史に鱈もレバーもないが、すぐに向かっていたら、会議などせずに電車に飛び乗っていれば…。
誰にも看取られずに、しかも大部屋で最期を迎えた心境を思うと胸が締め付けられる。
後悔はないもののもやもやだけが残る。
父からの謝罪の言葉や激励の言葉を求めていたわけではないのに、心のどこかで求めていたんだろうか。
いまわの際に一言、「イクオ、悪かったな。」と言われたかったのか。
あの時に間に合っていたらどうなっていたんだろうというもやもやだけが今も残っている。
もはや、命日くらいは心のもやもやとともに思い出してくれ、という父からのダイイングメッセージなのだろうと受けとめるしかない。
もやもやがすっきりした時が成仏した時か。