法要にプチなんてつけたら「日本語の乱れが~、喝!」なんてご指摘を受けそうであるが父の3回忌を兼ねて墓参りに行ってきた。
何度も記載している通りに伯母とはバチバチな状況、祖母は知らぬ間に他界、伯父は失踪中。
こんな状況なので参加者はイクオ一家と弟夫婦と母のみ。
参加者も本当に身内だけだし、かしこまらなくてカジュアルでよくない?ということになり普通の墓参りになった。
本当にただの墓参り。
3回忌だけど読経もなし。
いや、もちろん節目節目ごとの法要の大切さは知っているし、趣味で民俗学や文化人類学の本を読みあさっているのでハレとケの概念もわかっているつもり。
それでもいまいち気持ちがのってこない。
私が6歳くらいから半別居になり、10歳には完全別居な父、母が倒れてからは定期的に施設に面倒に行っていてくれたものの入居費用はこちらもちだし、父の遺産整理中には若い愛人との写真(しかも@ハワイのビーチ!)が出てきてうんざりするしで、愚痴しか出てこない。
父に感謝したいことは私達兄弟をこの世に授けてくれたことと、余計なもめ事となるような隠し子を残さなかったことくらい。
ただ3回忌は3回忌、喪主判断で簡単にしていいものだろうか。
念のために住職をしている友人に相談してみると、
「大切なのは気持ち。寺としては収入にもつながるので法要としてやってもらいたい部分もあるが、おざなりだったり、めんどくさそうにされては意味がない。家族みんながそろってお墓参りするだけでも十分なのでは。」
と諭される。
ありがたいお言葉である。
ドラマや小説であれば愛人にも声かけてやるべきかもしれないが、そこまで人間ができていないので、本当の家族のみでお墓参りに行き、お寺へ挨拶をしてきた。
お寺への用件は挨拶だけではなく、お墓の今後についても相談。
祖母の遺言により、父も眠るイクオ家の墓は伯母が相続することになっている。
闘えばいいってもんじゃない。
お墓を移すことは大変とよく聞くが、こちらの事情を理解してくれているのでどちらかというとこちらに同情してくれている。
それに今回はナツオ@5歳とレンタ@7ヶ月も一緒。
暑い中2時間近くもかけて来ていることと、無邪気な子どもを見たら誰だって慈悲深くなるもの。
お寺の方から「お父さんのお骨を出すのはいつでも可能だから遠慮なくね。」と言ってくれた。
お寺から見たら収入減になるわけだし、相続した伯母は旦那さんのお墓に入るので檀家不足になってしまうのだけど快く言っていただいて気分が軽くなる。
こちらからはなかなか言い出せなかったので本当にありがたい。
地獄に仏である。
お墓に関しては正直、父はこのままにしておくのもありかなとは思っていた。
しかし久々にお墓参りした母がかたくなに拒絶。
もうびっくりするくらいの強さで拒絶。
なぜにびっくりなのか。
母はくも膜下で倒れて以来、高次脳機能障害を煩い、要介護4状態。
体はなんとかなるも脳機能が弱まっており、朝に何を食べたかも忘れてしまう。
というか、常にふわふわしている状態。
どこにいるかも、何をしているかも理解できていないことが多い。
なので会話がかみ合わないことが多いのだが墓前で母に、
「じーちゃん、ばーちゃんと一緒のここの(イクオ家の)お墓に入りたい?それとも別がいい?」と聞くと即答。
「いやだ。いやだ。ここはいやだ。地元がいい。」
母が祖父母に何かされていた記憶はないが、良くもされていないので一緒は嫌なのだろう。
マスオな私は妻の墓、または同じ霊園の可能性が高いので弟が、
「それじゃあこの墓はこのままにして、俺と一緒に入るか。」と訪ねるとまたもや即答というかごねる。
「いやだ。いっちゃん(父の呼び名)と一緒がいい。」
兄弟そろってちょっとびっくり。
本当に?本当にいっちゃんと一緒がいいの?というか一緒でいいの?
「一緒がいいの。」
とても力強い一言。
正直なところ父子の思い出はあまりないので私も弟もお寺ともめるならば父とは別でもいいかなと思っていた。
お墓参りだけはしっかり来て供養だけはしていこうと考えていた。
病気のせいで母はあまりピンとこないだろうし、それに嫌な記憶として消えているのかさえ思っていた。
夫婦の絆ってのは本当にわからないものだ。
倒れてからの数年こそ父はかいがいしくお見舞いしていたが、それまでの30年近くはお酒飲んでは泣きながら父の愚痴ばっかり言っていたってのに。
これだけ強く、イクオ家の墓の拒絶及び父と一緒に眠りたいと意思表示してくれたので両親の墓探しも真剣に考えなきゃと思ってきた。
お寺の好意もあり、まだ急ぐ必要はないのでじっくりと探す余裕はある。
孫の顔を見せに行ったり、一緒に食事したりと母にはまだまだ親孝行していくが、最後の親孝行かつ息子達からの贈り物はこれで決まった。
苦労した分、寂しかった分の埋め合わせとして誰にも邪魔されずに二人きりでゆっくりできる終の住処を用意してあげないと。