はじめに。
ナツオ@小1の唯一の習い事であるブラジリアン柔術。ナツオと同じタイミング、同じ頻度で練習している親友のリュウタはストライプを巻かれたものの、そのタイミングではナツオは認められなかった。ナツオ史上初めて味わう挫折をうまく消化できずちょっとだけ荒れていた息子。
しかしナツオはその後もくさらずにちゃんと練習に励んでいた。そしてリュウタから遅れること約2週間。ついにその時は来たのだった。
「何かを成し遂げた!」と喜び得られる自信と達成感。
仕事を終えて帰宅するや珍しく駆け寄ってくるナツオ。
「今日は嬉しい報告があるよ!」と得意気な笑みで出迎えてくれる。
柔術の練習に行ったと知っていたのですぐにピンときたがそこは大人。あえて期待させてみる。
「なになに?学校で女の子に告白でもされたか?」と茶化すと、
「じゃじゃ~ん!ストライプをもらいました!」
と満面の笑みでお披露目してくれた。
わかってはいたけれど嬉しい。よくやったナツオ!私がお手伝いとして一緒にやっている限りではナツオとリュウタにそこまでの技術的な差はないと感じていた。だからナツオも近いうちにストライプをもらえるだろうと思っていたので驚きはなかったがやはり嬉しい。本格的に柔術に取り組んで一年。ナツオが初めて柔術衣を着た時のこととか、初めて腕十字を覚えた時のこととかを色々と思い出した。リュウタがもらった時には強がっていたナツオだが全身から喜びが溢れている。子どもは素直でよろしい。
練習を頑張ったからこそ、ストライプをもらえずに味わった挫折感と消化できない悔しさが達成感と自信に昇華された。きわめて健全で建設的。これぞスポーツの醍醐味。
「うまくできなくても、ちゃんと練習を続ければ先生に褒めてもらえるんだよね。」としっかりと練習を続ければ誰かに認めてもらえるということをよく理解してくれたよう。たった一本のストライプではあるがナツオにとっては「努力は裏切らない」という自信につながった。結果としてすんなりともらえずによかった。挫折から学ぶことは多い。
ストライプの価値。
たかがストライプ。されどストライプ。テーピングテープを巻いているだけでしょと指摘されればその通り。しかし私にとってはとても価値のあるもの。ストライプの有無の差は大きいと考えている。ストライプは武道の昇級昇段のように誰かに認められたという証。柔術を初めてすぐにやめてしまっても、頑張って練習を続けていても認められなければ同じストライプ0の白帯。両者に実力の差はあるにせよ客観的な違いはない。ストライプがたとえ一本でもあれば「最低限の柔術の動きはできるんだな。」という証明になる。また、ナツオの通うジムでは大会への参加資格(送り出す条件)が「ストライプを巻いていること」。つまりストライプが巻かれたということは、先生が子ども達をジムの代表として試合に送り出せるということ。「ジムの看板を背負う」という重みを子どもが感じる必要は全くないが、その重みがわかる日がいつかきっと来るはず。
柔術の帯色は大人と子どもで異なっているので比較はできないが、大人の帯色を私が勤務する会社の職位にあてはめるとこんなイメージ(あくまでも私の勝手な所感です)。
- 黒帯 → 取締役以上(取締役会参加メンバー)
- 茶帯 → 執行役員
- 紫帯 → 部長クラス
- 青帯 → 課長クラス
- 白帯 → 一般社員
このイメージで考えるとストライプ一本というのは新入社員から「研修生バッジ」が取れたくらいでまだまだ先はとてつもなく長い。ようやく社会人として名乗れるようになった程度である。それでも研修生と社員の壁は大きい。たとえ一本でも価値は充分にある。「研修生」バッジが外れたときに抱いた嬉しさと緊張感を思い出してきた。
おわりに。
ナツオも私もストライプに狂喜乱舞はしているものの、実際には「まだ何かを成し遂げたわけじゃない。なぜこんなことを思い出している。バカめ。」と叱られてしまいそうな状況である。
それでもやっぱり息子が誰かに認められたのは嬉しいし、ナツオ自身が悔しさをバネにして一生懸命に練習を頑張ってくれたのがとてつもなく嬉しい。挫折からの達成を味わったことで精神的に成長してくれたはず。
ナツオはストライプを巻いて更にやる気がみなぎってきたようで、10月からは今まで最大週1回+αの練習クラスから最大週3回+αのクラスに変更した。これで今までよりも3倍のスピードで強くなってくれるかな。ただし体力や学校の宿題も考慮すると週3回のうち2回が現実的だろう。それでも今までよりも2倍の練習量。しかし懸念すべきは私の熱量。残業後に帰宅してから一人でご飯食べながら柔術の教則DVDを見るほどに相変わらず熱中している。私が熱くなりすぎて息子が柔術を嫌いにならないように気をつけながら引き続き親子で切磋琢磨していきたい。