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月→土勤務の外資系風バリキャリ妻と元気いっぱいの2人の息子たち。2012年度、2017年度と2回育休を取得。育児ブログです。

父の命日にお墓参り。

はじめに。

先月末は2015年に亡くなった父の命日。ちょうど休日と重なったので二男を連れてお墓参りに行ってきた。

父が眠る墓は同じ東京とは言え町田市。家からだと電車を乗り継いで90分くらいの距離。遠くはないが近くもないので年に2回行く程度。もっとも距離的な壁というよりかは、心理的な壁が大きい。墓の所有者だった祖母の遺言により一緒に眠っている父も含めてお墓の所有者は叔母に移ってしまっているので。 

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「もしかしたら叔母と会うかも。」と考えるとついつい身構えて足が遠のいてしまう。しかし、弟夫婦にも子どもが誕生したことでお墓参りに加えて息子を従妹と交流させたいという目的もできたので以前よりかは気持ちが楽になっている。

 

命日くらいは冷静に父のことを考える。

普段は父のことを意識しない私だが命日くらいは父の事を考えてしまう。父はバブル期の典型的なモーレツ社員で土曜は仕事、日曜はゴルフで家庭をかえりみなかったし、家庭をかえりみないどころかいつの間にか別邸に移住していたりと反面教師にせざるをえない存在だった。ただ、私も歳を重ね、息子も成長すると負の感情ではなく冷静に父のことを考えられるようになる。父親目線、ナツオ@小1目線で。

父が39歳の時に私はもう中学2年生。今の自分に中2の息子がいたらどういう関係なんだろう。まだまだ体力が残っているので一緒に柔術したらちょうど良さそう。ただし圧が強すぎて息子から嫌われているか本気でケンカしているかもしれない。

私がナツオと同じ小学1年生の時は、父はまだ我が家での生活比重が大きかった。色々と忙しい中でも箱根や伊豆へよく旅行に行っていた。当時は社会的に企業イベントが当たり前のように行われていた時代。父の会社の運動会や夏祭り、社員旅行、バーベキューにとよく連れて行かれていた。とりわけ向ヶ丘遊園やドリームランドにはよく行っていた。どちらももう存在しないのが寂しい。

父に対するうらみつらみはもうない。命日の度に冷静に私の歳とナツオの歳を重ねて思い出にひたるくらい。それが私にとっての供養のつもり。

 

墓参りしながらお墓について考える。

ナツオは友だちとの約束があるとのことで同伴してくれず、一緒に来たのはレンタ@2歳だけ。まだ生死の意味もわからないのでお墓の概念もなどまったくなし。それでもわけもわからずにお水をかけ、線香をあげて一緒になむなむしてくれた。


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わけもわからずお墓で遊んでいるレンタを見ながらお墓について考えてしまう。叔母から墓を譲る代りに対価を求められたらどうするのか。金銭を出すくらいならば、父の骨だけ出して母の施設の近くでお墓を探すのが現実的だろう。母の事を考えると祖父母とは別のお墓にしてあげたい思いもある。ただし、叔母の家からお墓までは3時間近くかかる距離だし、叔母の入るお墓はまた別のところなので、そうなると祖父母のお墓はすぐに荒れ果ててしまいそう。墓の所有権をたてにして墓参り(お墓に来ること)を拒否されたらまたどうするか。そう遠くない未来に考えなくてはいけないのだけれども、考えだしたら重くなってしまう。

私は特定の宗教に関心があるわけではないが、図書館でかたっぱしから関連書籍を読んでいたほど宗教学や文化人類学が大好き。私なりの死生観で考えると心の拠り所として何か拝む対象があり、弟家族との交流のように集える場所があればハカに拘る必要はなさそう。長男だから父の墓をつぐのか、妻が一人娘だから墓はそちらになるのかまで、父の墓の話から私自身まで飛躍してしまう。結論づける必要はまだまだないけれど、オプションとして考え方はいくつかもっておかないと。

 

何はともあれ子ども同士の交流が一番。

難しい話に飛躍していったが、お墓参りといったらみんなで楽しく食事。特別な日なので好きなものを好きなだけ食べる。バーミヤンだからお金のことは気にするな。うるさい妻もいないからレンタも甘いデザートOK。保育園のおかげで赤ちゃん大好きなレンタは食事中もずっと従妹をかわいがっていた。


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いっちょ前にお兄さんになった気でひたすらいい子いい子したり、話しかけている。姪の成長を見るのも楽しいが、家では見られないレンタのお兄ちゃんぶりを見るのも楽しい。姪はまだ生後5か月なので赤ちゃん特有のふにゃふにゃ感がまた懐かしい。家だ墓だなんて話は置いておいて、子ども同士をもっと交流させていきたい。

 

おわりに。

親不孝な解釈かもしれないが、私達兄弟がちょくちょく会って仲良くしていること、母のもとへちょくちょく見舞いに行くことの方が墓参りに来るよりも喜んでくれているものと思っている。孫はナツオしか見せることができなかったが、意外と子ども好きな父だったので孫同士が楽しく遊んでいることが一番嬉しいんじゃないだろうか。一年に一度くらいしかがっつりと考えることはないが、これが私なりの命日の過ごし方になっている。