6歳になったナツオ。子どもの歯がようやく一本抜けた。
歯が抜けようが生えようが周囲にとってはどうでもいいことだが、本人にとってはだいぶ気がかりだったよう。
「●●くんは5歳なのに抜けたんだよ。□□ちゃんはもう二本も抜けているよ。」
とどうでもいいニュースをいちいち報告してきてくれていたナツオ。つまり歯が抜けないうちはまだまだ子どもだという認識があるみたい。子どものくせに。だから7月20日の誕生日を過ぎて6歳になったのに歯が一本も抜けていないのが不安なようであった。
そんなだから歯がぐらぐらしだすだけでもう大興奮。毎朝のおはようと帰宅時のおかえりの時に逐一ぐらぐら具合を報告してくれる。ビジネスにおいてホウレンソウは大事だがまだ6歳。そこまで報告しなくてもいい。
ぐらぐらしだして気がつけば一週間。もうすぐ抜けそうなのに最後の悪あがきかなかなか抜けそうにない。ついには不安になってきたようで土曜の朝イチに相談される。
「歯がぐらぐらしてるのに抜けない。どうしよう。歯医者さんに行きたい。」
と。
歯なんてそのうち抜けるし、そんなに不安ならば目をつぶっている間に拳で撃ち抜いてあげるよと優しく諭すも一向に聞く耳もたず。初めてのことだから不安でいっぱいなのだろう。その気持ちわからなくもない。仕事がある妻は直接的に関係ないからか出社前に気楽に一言。
「ナツオも不安がっているようだし、歯医者さんに相談してみたらいいかもね。」
何気ない一言であるが、我が家の資本関係だと大株主な妻。どこの社会であっても役員、大株主の意見には従わざるをえない。何気ない一言を社命と受け止めるのが企業戦士。こんな腐った風習があるから日本人は働きすぎなんだよまったく。
「相談してみたらいいかもね」→「歯医者で抜いてこい」とATOKばりに正確に変換して歯科へ行ってきた。
歯医者さんに相談すると「間もなく抜けるから自然と抜けるのを待っても問題なし。しかし、不安でしかたないならばここで抜きます。たま~に寝ている間に歯が抜けて飲み込んでしまう子どももいるからね」と言われた。
最後の一言にびびったナツオは真顔で「お願いします。今抜いてください。不安でご飯が食べれないです。」と泣きつく。いつの間に敬語使えるようになったんだ、こいつ。
歯医者さんに抜歯をお願いして立ち会うことに。記念に動画撮影しようかと思ったけれどそこはぐっとこらえる。
私が小さい頃は毎回麻酔をしてから抜いていたが、今回は見ている限り注射はなし。何かを歯に塗ってから治療につかう針みたいな器具で歯の回りをぶちぶち引っ掻いて切っていく。苦しそうではあるが痛そうではない。ナツオがぐっと耐えている5分くらいで終了。あっけなく歯が抜けた。抜いたというよりかは歯を切り取った。
記念に歯を持ち帰り妻の帰りを待って抜歯の儀式をすることに。しかしマンションばかりの東京出身だからか歯を屋根に投げる風習にポカンとする妻。妻曰わく、下の歯は真上にあげて落ちたらそのままにしておくのが風習とのこと。いやいや、下の歯は屋根に投げあげるものでしょと話すも、じゃあタワーマンションの子どもたちはどうするの?とロジカルに返される。めんどくさいなぁもう。
ロジカルに攻めつつも妻はこだわりはないとのことで私のやり方に従ってくれた。抜いた歯を屋根に向かって投げ上げて儀式は終了。後は丈夫な歯が天に向かってまっすぐ伸びてくれるのを待つだけ。
ナツオは歯が一本抜けただけで別人のようになった。子どもってのはちょっとのことでもものすごい自信を持つらしい。
「僕もう大人の歯だから強いんだよ。」
と何かにつけては宣言してくる。
大人の歯だから…
お化けも怖くないし、ひとりで頭も体も洗えるし、大根も食べられるらしい。
もう大人の歯には感謝しかない。もはや神の領域である。
しかし子どもの歯が抜けただけでこの自信。小さな成長体験、成功体験の積み重ねで子どもはどんどん大きくなっていくんだなと感じた出来事であった。