保育園のおかげで日本の四季や行事を振り返る毎日。
いつの間にか節分イコール恵方巻きとなりつつある日本であるが、節分といったら豆まき。
保育園から持って帰ってきてくれた鬼のお面のおかげでそんなことを思い出す。
余談だが、お面作成にあたって各家庭から紙袋持参の依頼を事前に受けていたのだが、この紙袋一つでオロオロしてしまう自分がイヤになる。
みんなどんな紙袋持ってくるのだろうか?
センスが問われてしまうのか?
高級商店の紙袋だと嫌みにならないだろうか?
かといってスーパーやファストファッションだと見下されないだろうか?
絶対に誰もそんなこと思わないのに、そんなくだらないことに悩んで時間を使ってしまう小心者の私。
人生損している気がする。
一時間近くも悩んでいる私にうんざりした妻がさっさと決定。
ナツオの頭の大きさに一番しっくりした紙袋が一番だと一喝される。
おっしゃるとおりです。
そんな苦労もしらずにナツオは保育園で鬼のお面を作成して持って帰ってきた。
準備はOKである。
しかし、いまいち乗り気ではない妻。
そもそも儀礼的なことに興味がないし、掃除が大変になるから嫌らしい。
前述の通り國學院大学文学部を本気で目指していた私。
それに、どうせ掃除をやるのは私だ!
結局、部屋が汚れないように袋のままの豆まきが落としどころとなり、豆まき開始。
しかし、この豆まき実に味気ない。
小分けされた袋を持って、
「鬼は~外、福は~内」。
窓を開けると暖房効果が下がるし、外に落ちたものを拾って食べるのは嫌とのことでただ部屋の中をウロウロするだけ。
袋を拾っては投げ、拾っては投げの繰り返し。
ザ、茶番。
私の子ども時代は祖母がお菓子屋を営んでいたこともあり、この時期はバケツいっぱいの豆をもらっていた。
なので家中はもちろん、庭に向かっても豪快に豆まきしていた記憶しかない。
まあ、父は当時別の人のところにいたので一緒に豆まきした記憶はないが、母と弟と犬と楽しくやっていたのは覚えている。
それが今は袋を拾っては投げ、拾っては投げの味気ない豆まき。
郷に入っては郷に従え
When in TOKYO, do as the TOKYOs do.
これが東京の流儀なのだろう。
味気ない豆まきであったが、銀座あけぼののお豆はとてもおいしゅうございました。