Call me Iqo.Pls!

月→土勤務の外資系風バリキャリ妻と元気いっぱいの2人の息子たち。2012年度、2017年度と2回育休を取得。育児ブログです。

イクオ、泣き声問題について考える。

著名人の記事をきっかけとして社会問題となった

子どもの泣き声問題。

当然、親となる前後で考え方も成長した。

父親となる前は、正直イラッとしてしまうこともあった。

さすがに表情や言動には出さないが、

例えば通勤時間帯であれば

「時間帯を避けて利用してくれよ。」

と心の中では毒づいてしまうこともあった。

電車内で泣き出したとたんに車両を移っていたことも。

その時は平和的解決と思っていたが、

無言の抗議ともとれるわけだし

今思えばちょっとひどいことをしてしまった。

さてイクオとなった今は、

「気にならない」というよりもむしろ「気にかける」

ようになった。

不快な感情は皆無となり、

「元気だな~。」と感心したり

「大丈夫かな~。」とおせっかいながら気遣ったり。

少しばかし社会に優しくなってきた気がする。

ただし、以前と以後で変わらない部分もある。

むしろ、以後の方が強く思うくらいのところ。

それは、泣いている子どもの横にいる親のふるまい。

子どもだから泣いて当然!とでも思っているのだろうか。

顔を真っ赤にして泣いている子どもの横で、

平然とおしゃべりしていたり、

スマホいじくっていたり、

イヤホン外さずに音楽聴いていたり、

なんてのを見かけるとただただ腹立たしい。

どうしてもイライラしてしまう。

そんな一部の人たちは反面教師とするしかないのだろうか。

今回の一件は問題提起や議論の土台を提供してくれたわけだが

これをきっかけにして

社会がもっと優しくなることを願うばかり。

そして実際に少しは優しくなるのだろうと信じている。

「あの言動はおかしい。自分ならそんなことしない。」

と感じた大多数の人が同様の場面に遭遇し、

たまたまイラッとしてしまっても、

認知的不協和によってイライラ感情がなくなるのではないかな。

と、性善説なイクオは期待してしまう。