著名人の記事をきっかけとして社会問題となった
子どもの泣き声問題。
当然、親となる前後で考え方も成長した。
父親となる前は、正直イラッとしてしまうこともあった。
さすがに表情や言動には出さないが、
例えば通勤時間帯であれば
「時間帯を避けて利用してくれよ。」
と心の中では毒づいてしまうこともあった。
電車内で泣き出したとたんに車両を移っていたことも。
その時は平和的解決と思っていたが、
無言の抗議ともとれるわけだし
今思えばちょっとひどいことをしてしまった。
さてイクオとなった今は、
「気にならない」というよりもむしろ「気にかける」
ようになった。
不快な感情は皆無となり、
「元気だな~。」と感心したり
「大丈夫かな~。」とおせっかいながら気遣ったり。
少しばかし社会に優しくなってきた気がする。
ただし、以前と以後で変わらない部分もある。
むしろ、以後の方が強く思うくらいのところ。
それは、泣いている子どもの横にいる親のふるまい。
子どもだから泣いて当然!とでも思っているのだろうか。
顔を真っ赤にして泣いている子どもの横で、
平然とおしゃべりしていたり、
スマホいじくっていたり、
イヤホン外さずに音楽聴いていたり、
なんてのを見かけるとただただ腹立たしい。
どうしてもイライラしてしまう。
そんな一部の人たちは反面教師とするしかないのだろうか。
今回の一件は問題提起や議論の土台を提供してくれたわけだが
これをきっかけにして
社会がもっと優しくなることを願うばかり。
そして実際に少しは優しくなるのだろうと信じている。
「あの言動はおかしい。自分ならそんなことしない。」
と感じた大多数の人が同様の場面に遭遇し、
たまたまイラッとしてしまっても、
認知的不協和によってイライラ感情がなくなるのではないかな。
と、性善説なイクオは期待してしまう。