Call me Iqo.Pls!

月→土勤務の外資系風バリキャリ妻と元気いっぱいの2人の息子たち。2012年度、2017年度と2回育休を取得。育児ブログです。

大往生でにぎやかな祖母の葬儀に理想の最期をみた。

はじめに。

先日私の祖母(息子たちにとってはひいおばあちゃん)が亡くなった。「長い闘病生活、介護生活の末に…」というわけではなく、体調を崩して入院したらそのまま一週間で…という具合。物忘れはひどくなっていたものの元気だった祖母。今度の正月はいつ頃に顔を見にいこうかなんて家族会議をしていた矢先のこと。俗にいうPPK(ピンピンコロリ)で親族に大きな迷惑をかけることもなく旅立っていった。入院のことすら知らなかったの私にとっては寝耳に水だった。

 

孫9人ひ孫21人で大往生の祖母。

享年96歳だから大往生だろう。90歳までは一人で電車に乗ってスイミング教室に通い続けていたし、95歳までは自営業のお店をほぼ一人で切り盛りしていた。だから体も頭も健康そのものだった。

私の母は祖母にとって末っ子だし、その夫である私の父は家に居つかないしとのことで祖母はなにかと私達のことを気遣ってくれていた。お店が休みの日はちょくちょくお菓子を持って遊びに来てくれたし、夏休みはよく泊まりにいっていた。本当に色々とお世話になった。

母のきょうだいは仲が良かったので集まる機会も多く、おじさん、おばさんとも仲良しだから当然いとこ同士も仲良し。祖父が23年前に亡くなってからはお盆やお彼岸、法事で集まるたびにいとこだけで飲みに行ったり、バーベキューをしたりとずっと良好な関係。今回の葬儀をきっかけに改めて数えてみると祖母からみたら孫は9人、ひ孫は21人。祖母はたくさんの子ども達に囲まれて幸せな生涯だったと思う。祖母の自慢は孫9人全員の結婚式に参加してきたこと。最後までそのことを誇りに思っていたと聞いて私もおばあちゃん孝行に貢献ができたかなと嬉しく思っている。

 

笑顔が絶えず終始にぎやかな葬儀。

妻と息子たちの4人で通夜に参加する予定だったが、出発前日にナツオ@小1に全力で拒否される。何度も諭すも「絶対に行かない!」と譲らない。 どうやら私の父親の時の葬儀がトラウマとなっているよう。あの時は私が喪主、弟が施主でとにかく慌ただしかった。 

www.iqo720.tokyo

ナツオにとってはついこないだまで元気だった人があっという間に弱って遺体になり、更に焼かれて骨になっていく過程が恐ろしかったよう。ナツオが火葬後の骨を見て泣きながら嘔吐していたのを思い出した。しかたない。やむをえずナツオを義父母にお願いしてレンタ@2歳と妻の3人で祖母の通夜へ向かう。

孫9人、ひ孫21人の祖母だけあって葬儀の場とは思えないほどににぎやか。ナツオ以外にも来られないひ孫は何人かいたがそれでも下は生後半年から大学生までと子ども達がたくさん。親族ばかりの葬儀だったこともあり終始和やかな雰囲気だった。テスト勉強をしている子ども達の横でお菓子を食べている子どもがいたり、外で鬼ごっこがはじまっていたりと本当ににぎやか。しんみりよりも笑顔ばかりの明るい葬儀。遺体を囲んでみんな笑顔の記念撮影なんかもしちゃうほど。23年前の祖父の葬儀の時もこんな感じだった。その時は孫9人。中学生から大学生、社会人のいとこ9人でバタバタしている両親をしり目に我々は楽しく遊んでいた。歴史は繰り返す。哀しいんだけど楽しい。なんとも言えない不思議な感覚。

 

理想となる人生の終わり方。

まだまだ終活なんて考えない歳だけれども祖母の葬儀に参加してこれこそ理想の人生の終わり方だとしみじみ感じた。最後まで運動を楽しみ、最後まで働き、元気なまま楽しかった思い出を残してくれたままのピンピンコロリ。葬儀では孫やひ孫がたくさん訪れていて笑顔が絶えない。火葬後の精進落としはもはやただの豪華な飲み会。遠縁の年配の親戚達がだいぶ料理を残して早々と帰られたので、次から次へと豪華な食事が我々の元にやってくる。私なんて柔術の大会前だから減量しているのに「おい、イクオ!そんな細い体じゃ力入らないだろ!食え食え!」とおじさんが手つかずの料理をどんどん運んでくる。「体重制限があるんだけど…」なんて野暮な事を言ったところで聞いてくれない。小なべのすき焼きや天ぷら、寿司などを3人前ずつくらいは食べただろうか。

父はまだ現役会社員のまま亡くなったので、同僚の方を中心にたくさんの人が参列してくれていて、それはそれで良かったと思っていたが、今回みたいに大勢の親族に囲まれての葬儀も良い。これからは祖母の死をきっかけに四十九日やら新盆やら一周忌やらとしばらく集まる機会が増えていくだろう。ナツオやレンタにとってもハトコと遊ぶ機会が増えて楽しくなりそう。祖母からの最後のメッセージでありギフトであると思ってこの縁を大切にしていきたい。

 

おわりに。

商売をしていたからかずっと元気でキビキビとしていた祖母。いわゆる「孫に甘い優しいおばあちゃん」とは異なっていたけれど、きっぷが良くて大好きだった。風呂が大好きだったので、私が大学生時代は同じく風呂好きの母と私で2、3か月に一度は色々なスーパー銭湯へ出かけたもの。焼香をしながらそんなことを思い出していた。商売が軌道に乗るまでは大変だったみたいで、「商売を始めたときにテレビは40歳まで見ないと決めた。」と誓った時の熱い話をいつも思い出す。家族を食べさせていくために当時普及しだした頃のテレビにわき目もふらずに一心不乱で働いていたよう。そんな祖母の若かりし頃の祖父とのデート写真や家族旅行の楽しそうな写真を眺めていると意外な一面がのぞけてまた嬉しかった。どうぞ安らかに…。