はじめに。
ついにこの日がやってきてしまった。
長男ナツオ@小4がゼロ歳児の時から通うこと丸10年。長い長い保育園生活がついに終了。本日が最終登園日。
ナツオが卒園した時は「これからまだ4年間は通うんだよなぁ。」なんて思っていたが、その4年間があっという間に終了。今日で最後。そう思うと全ての思い出が愛しくなってしまう。
保育園を巡る思い出。
「保育園」というキーワードでまっさきに思い浮かぶのは毎日の通園と呼び出し電話。雨の日も雪の日も通ってきた保育園。もう全てが懐かしい。雪の中抱っこ紐で慎重に歩いたなとか、保育園に行くのを嫌がる息子を無理やり抱えていったなとか、秋になって肌寒くなったとたんに保育園からの呼び出し電話が毎週のようにかかってきたなとか。恨めしかった呼び出し電話も今となってはもう全てが良い思い出でしかない。
私も妻もコロナによる緊急事態宣言中も通常勤務が続いていたので、特にあの期間は保育園に本当にお世話になった。保育園が息子を預かってくれたおかげで働くことができた。あの時も社会を動かすことができたのは保育園が保育園として機能してくれていたからだと思う。あの時ほど保育園の存在を頼もしく思ったことはない。保育士は本当に尊い職業だと思う。
保育園のおかげでできたたくさんの友人。
ナツオの時は同級生に第一子が多かったので、父母も子育てに関してみんな手探り状態。不安しかない。話題をふると悩みや愚痴が共通の話題としていくらでも出てくる。
また、ナツオの時は制度として保育園に預ける時に布おむつに替える必要があった。教室に用意されたおむつ台は2つ。みんなで譲りあうものの毎朝おむつ渋滞が発生してしまう。それに週初めは保育園の用意しているお昼寝布団と毛布にシーツをかける必要もあった。朝の忙しい中、どちらもボトルネックであったが結果的にこのボトルネックが親同士の交流するきっかけを生んでくれた。おむつ台が空くのを待つ間に、チマチマと布団カバーをつけている間に自然と雑談が始まる。レンタが入園するころには布おむつから紙おむつになっていたし、お昼寝布団も窒息死のリスク対策でコットンとなったのでカバー作業がなくなった。おかげで朝はスムーズになり時間短縮になったが、すれ違い際に挨拶はするものの雑談するきっかけが皆無となってしまった。おむつ取替もカバーかけもコスパタイパは悪いかもしれないが必要悪。あのボトルネックの時間が今につながっている。
雑談きっかけでパパ飲みをするようになったし、その縁が広がってナツオ世代は毎年やれ花見だ、バーベキューだ、ハロウィンだ、クリスマス会だ、忘年会だ、新年会だと数家族集まって会食することがしょっちゅう。パパ飲みも毎月のようにやっていた。
そしてその縁は今でも続いており、相変わらずパパ飲みは月に一度ペース。
「残業終わって今から帰るので22時から飲みませんか?」
なんてLINEが月に一度は流れてくるくらい。パパ飲みネットワークが拡大してナツオの前後の世代のパパさんとも飲むようになってきており、保育園のおかげで一気に友人が増えた。世代も仕事もみんな違うので話していてとても楽しい。この10年で一番飲みに行っているのは間違いなく保育園ネットワークだろう。会社の飲み会を一次会でさっさと切り上げて二次会タイミングでパパ飲みなんてのもしょっちゅう。
保育園に恵まれたおかげで交友関係が拡大した。
親同士が今でもそうなのでもちろん子ども同士も仲良し。小学校がバラバラになっても休日のたびに集まっているし、家で遊ぶときは夕方からパパさん、ママさんがお迎えがてらやってきてそのままお茶やらお酒が始まることも多い。
戦友としての一体感が我々にはある。
おわりに。
素敵な思い出ばかりの保育園生活もついに終了。長男、二男ともに私が慣らし保育からがっつりと関わってきただけに10年間の重みがじわじわとやってくる。父母会役員も大変だったけど楽しかった。
保育園への通園がなくなったので4月からはぼっち通勤。物足りないというか寂しいというか。保育園までの通園時間は息子との大切なおしゃべり時間だったがもうそれも無くなってしまった。貴重な手をつないで歩いていく機会もこのまま減っていってしまうのだろう。
こうして親は子離れに追い込まれていくのか。寂しくても負けない。大人だから。
最高に楽しくて最高に素敵だった10年間の保育園生活でした。
本当にお世話になりました!
↓ あれからちょうど10年 ↓