はじめに。
恥ずかしながら人生で初めて大人御輿に参加した。そして、すみませんでした。神輿なめていました。こんなにもつらくて自分の弱さを思いしらされるなんて思ってもみませんでした。
きっかけはやっぱりパパ友。隣の町会に所属しているパパさんから「みんなで一緒に担ぎませんか?」とお誘いが来た。私は子どもの頃はずっと御輿をかついでいたが、大人になってから神聖な御輿を担いだことはなかった。そりゃサラリーマンですから、いくらでも御輿はかついできたけれど、神様ではなく上様しか乗っていない陳腐な御輿ばかり。正直、大人御輿ってやからが多くて怖いイメージだったがせっかくのお誘いなこともありドキドキしながら参加することに。
そうした軽い気持ちでお神輿に挑みました。そして心も体もボロボロになりました。
意味を求めても意義を求めてはいけない。
各地区から大人御輿と子ども御輿が出発して賑やかしをするのがこのあたりの御輿スタイル。子ども御輿は町内を30分から1時間かけてまわりつつも、休憩、休憩ばかりでジュースとアイスをひたすら食べて最後にお菓子をもらって解散。ただのコスプレイベントのような体裁。とてもゆるいので、大人御輿もその延長だと思っていた。威勢良く町内をまわって最後に乾杯して楽しいお酒なんだろうなって。そんな甘いわけないのに。
実際の大人御輿は一日がかりの大イベント。10時集合で18時解散。完全に仕事スケジュール。何をそんなに時間をかけてとはたからみると思うだろうが、担いだ本人も思う。
神事だから当然なのだがお約束的な儀礼が数多い。そこに効率性を求めてはいけないのである。出発の時の柏木から神社でのお祓い、そもそもの歩き方、担ぎかた等々、とにかく決まり事が多い。親の反対にあって断念したが国学院大学が当初の志望校だった私、ハレとケ、アニミズムだとか民俗学だとか文化人類学は今でも大好物。だからお神輿も開始当初はとても楽しかった。「この儀式はあれか!この行為はあれだな!」とそれぞれの意味を求めては一人で楽しんでいた。当初だけは。しかし、想像以上にハードだったこともありだんだんと意義を求めなくなってしまった。ふだんは「気合いと根性」をモットーに感情論で動いている私が効率性を求めるようになってしまった。
「なんでこんなにも声を出さなくてはならないんだ?声量が必要ならばスピーカーで流すか、拡声器を活用して順番に声を出していけばいいんじゃないか?」
「お祓い待ちの為の神社でのお神輿渋滞。待っている間も他の町内に負けないように元気良く御輿を担げ?無意味にカロリーを消費してどうするんだろう。待っている間は御輿を台において休憩すればいいのでは?そもそも渋滞が発生しないようなスケジューリングを神社と各町内会が詰めておくべきでは?」
「そもそも御輿って何?担ぐ必要はどこにある?もう平成も終わるんだし、御霊が鎮座する部分だけドローンで操縦して町内を飛び回ればいいのでは?」
なんて罰当たりきわまりないことばかりが浮かんでくる。ぜんぶ汗のせいだ。
御輿の恐怖を知った昼過ぎからは意義は何も求めずにただひたすら、ひたすら御輿を担ぐことだけに集中したのだった。
御輿は最高のトレーニングだ。
とにかくつらかった大人御輿。周りをよく見ると適当なタイミングで抜けて交代を重ねている。なるほど。疲れないように適宜休憩しているのか。しかし、こちらも意地。相模っ子としては江戸っ子に負けていられない。意地でも休憩場以外では休憩しまいと心に誓う。
そしてふと気づく。「これって最高のトレーニングなのでは?」って。常に足は動きっぱなし。小刻み、小刻みではあるが上下にゆっくりとジョギングをしている。どれくらい小刻みかっていうと20分もあれば通りすぎる商店街を90分もかけて歩くくらい。そして御輿を担ぎ上げる動作は筋トレ。つまり有酸素運動しながら筋トレをするという、ナイスなハードワーク。休憩と休憩の間は60分から90分。その間はひたすら重りを抱えての小刻みジョギング。
これってLSDトレーニング(Long Slow Distance)じゃないか!育休中に雑誌ターザンを読みふけって筋トレやダイエットの知識を蓄えておいてよかった。答えはいつだって書の中にある。
「これはトレーニングなんだ、トレーニングなんだ」と自分に言い聞かせることで、突然お神輿が楽しくなってくる。筋肉は裏切らない。普段使わない筋肉や部位を鍛えているんだと思うととても貴重な時間に思えてきて休憩時間以外は離れることなくひたすら御輿を担いでいた。
活動時間が長かったから当然かもしれないが、万歩計で確認すると10時から18時の総歩数は28,000歩!とにかく疲れた。
まるで部活の合宿のよう。
大人御輿をまとめるとまるで部活の夏合宿のようであった。
休憩が豪華。
合宿中にやってくるOBからの差し入れのように、休憩がとにかく豪華。
とりあえず休憩の度にお酒が出てくる。缶ビールからストロング系のお酒までたくさん。最初は喜んで飲んでいたのだが、さすがにこのペースはやばいかなと気づきだす。昼に3本飲んで、そこから1時間置きに1本。汗が出ていくからついつい飲んでしまうが、このペースで飲み続けたら死んでしまうかと本気で心配して夕方からはお茶に切り替えるほど。それくらいとにかくお酒が出ていた。大きな休憩場だと食べ物も豪華で、カツサンド、スープカレー、ガーリックライスとこれでもか!ってくらいに提供してくれる。この日ばかりはカロリー計算など無視して食べたい分だけ美味しくいただく。確実にカロリーを大量消費しているから問題なし。というか、こういう楽しい場で思いっきり食べる為に日頃があるんだ。
結局は精神論。
21世紀になろうと、平成が終わろうと、やっぱり日本は精神論の社会。とにかく気合いと根性。最後の休憩を終えて後は商店街をつっきるだけ。通常ならば10分も歩けば奉納場所に到着。もう疲れに疲れきった17時前。さすがに10分とはいかないまでも、30分も歩けば終わると思ったらとんでもなく甘かった。「おら!最後だから気合い入れていけ、思いっきり元気良く、ゆっくり行くぞ!」なんて号令がかかる。その言葉通りひたすら声をあげて足踏みしながら商店街を走っていく。観光地にもなっている商店街なので、とにかく人はたくさん。外国人もたくさん。みんな楽しそうに嬉しそうに写真撮影をしている。体調は良くないが気分は悪くない。こんなにも注目を浴びる機会なんてなかなかないのでついつい高揚してしまう。それにカメラを向けられるのでふてくされた顔なんてできない。神様にも観光客にも失礼だ。悲しきASIAN BOYな私。
ようやく奉納場所に戻って、ようやく終わりかと思ったらここからが長かった。もうひたすら長い。長老とおぼしきご老人がたくさん出てきては口々にやじってくる。
「声が小さい。」「元気がない。」「まっすぐに進んでいない。」
とやじられ、そのたびにやり直し。あと1メートルで終了なのにその1メートルが何度も何度もやり直しになる。20分くらいはその繰り返し。もう、完全に夏合宿の最終日。絶対にすぐには終わらないやつ。
「誰かがキャッチミスしたから最初から。」「シュートが枠を外れたから最初から。」「声が小さいから聞こえるまで走り続けろ。」
ひたすら言いがかりをされて、殺意がうまれるやつである。「せぃや!」と御輿を担ぎながら「あぁ、あの結局は時間まで終わらないやつか。」と冷静になってとりあえず必死な形相をつくって頑張り続けた。商店街に清掃車が入る時間を知っていたから「なんだかんだであと○○分か」と冷静に計算しながら。
謎の一体感。
もう夏合宿と一緒。このやりとげた感の絆は半端ない。たった一日だけなのに達成感が半端ない。それぞれのママさん、子ども達もずーっと並走して歩いていたので一緒に参加した5家族の絆が深まった気がする。
御輿の参加お礼としていただいた銭湯の入浴券でパパと子ども達でさっぱりと汗を流し、お土産のお弁当を持ってパパさん宅で5家族みんなで打ち上げ。
体は疲れきっているのだが充実感に満たされているのでとにかく楽しいお酒。部活の打ち上げのよう。これは楽しい。これから先のパパ飲みの時も「あの時は御輿つらかったですね。」で何年も盛り上がることだろう。
おわりに。
罰当たりな愚痴ばかりとなってしまったが、充実感は半端なかった。筋肉痛でバキバキになるかと心配していたが、日頃の運動のおかげで筋肉痛はなし。とってもよく眠れて快適な朝を迎えられた。
1年に1度だと思うとまた来年も頑張れる気がする。私も楽しかったが、お友だちと遊びながら並走していたナツオの楽しそうな表情も印象的であった。商店街で遭遇した他のママさん達には「ハッピ姿で並んでいたパパさん達がカッコ良かった。」なんて言ってもらえたので私もまんざらでもない。
やっぱり大人が楽しいと子どもも楽しいんだなと実感。こうして地域の祭りは受け継がれていくのか。
今年は気軽な気持ちでの参加だったので千円もしない足袋を購入しての参加だったが、来年はその先のことも考えてエア!入りのお高い足袋を買っちゃおうかな。
今までは御輿を眺めては「頑張っているな」なんて冷めた目をしていたが、結論。やっぱり祭りは「見る側」よりも「参加する側」の方が大変だけど数倍楽しい。きっと御輿も担がれる方より担ぐ方が楽しいはず。御輿を担がれるようになったら気を付けよう。