7月20日は記念すべき日である。
長男ナツオの誕生日であり、私が親になった記念日である。
7月20日生まれだからナツオ。
名前の響きといい、由来といい、とても気に入っているので本名にしたかったのだが、あまりにも安直すぎるということで妻に却下されてしまった。
思い起こせば5年前。
破水から始まったお産であった。
深夜3時に破水をした妻に起こされてからが長かった。
いつだって冷静沈着な妻。
病院に連絡して破水を伝えて受け入れ準備をしてもらう。
オロオロしている私を横目に「行くよ。」の一言。
流しのタクシーはなく、かといって呼ぶのももったいないからということで15分近くかけて病院まで歩いていく。
この人はいつだってバリキャリである。
破水したものの陣痛がなかったのでとりあえずベッドで陣痛待ち。
私はあまりにも退屈と寝不足気味だったので「ちょっとだけラクーア行って休んできていい?」と駄目もとで尋ねたら本気で激怒されたのもいい思い出である。
(そして懲りない私はレンタ@5ヶ月の出産時も同様のことを訪ねて同様に激怒されたのであった)
結局その日は陣痛が来なかったので翌日に陣痛促進剤を注入することに。
陣痛促進剤を注入してもなかなか子宮が開かず苦しむ妻。
そこへ義父が妻の枕元へやってきて一言。
「なんだ、まだ産まれてないのか。ゴルフ行けば良かったな。今から打ちっぱなし行ってこようかな。」
痛みにもだえ苦しんでいる妻は大激怒。
「早く帰って。今すぐ帰って。」と義父を追い返す。
妻の周りはろくでもない男ばかりである。
そして子宮が開いて分娩室へ。
18時頃にようやくナツオと対面。
破水してから40時間弱の長丁場であった。
ナツオと初対面したときは不覚にも泣いてしまった。
何とも言えない感動に包まれた。
その時に抱いた率直な思いは「これでいつ死んでもいいかな。」。
「息子の為にも長生きしなきゃ。」とは真逆の思いだが、不思議とそんな思いが込み上げてきた。
遺伝子を残せた本能的な安堵感なのだろうか。
妻がいる限り息子の生活はなんとかなるし。
そんなナツオも今日で5歳。
もうただの子どもである。
嬉しいような寂しいような。
世の中はGNP(義理・人情・プレゼント=贈りもの)でまわっているというのが信条の私。
ナツオのおかげ、子を持ったおかげでその大切さを再認識している。
不寛容な社会にも確実に存在している個人の優しさ。
見ず知らずの誰もが優しいし、いつも誰かが助けてくれる。
電車の中で、駅で、お店の中で、道ばたで。
天の邪鬼な私はナツオという存在がなかったら、自分が困っても「自業自得だよな…」と一人で困り続け、困った人がいても「関係ないから、関係ないから」と見て見ぬふりをしていたであろう。
ただのクソ野郎である。
子どもとお出かけをしているとたくさんの優しさに助けられていく。
笑顔で助けてくれる人もいれば、無愛想なおじさんやいかっちい兄ちゃんが無言で助けてくれる。
私にできるのは感謝の言葉を述べることと恩送りくらいである。
誕生日ディナーはナツオの希望により手巻きずしとのこと。
回転ずしに行くと7枚は食べるほどの寿司好き。
今夜もたくさんたくさん食べてくれるのだろう。
気持ちのいい食べっぷりを楽しみにしよう。
上司はみんな小さな子どものパパさんということもあり、子どもが関わる催事に関しては非常に理解のある職場。
ぬかりなく「7月20日は息子の誕生日なんですよね。」と昼食時にちょいちょい挟んできたので根回しはばっちり。
今日はさっさと退社し、息子の誕生日をふり返る為の記録用に雑誌ナンバーを買って帰ろう。
いつかスポーツでふり返っていく息子の誕生日ってのも悪くないだろう。
5歳を迎えてますますやんちゃに、生意気になっていくだろう。
間違った方向にいきそうになったら力づくで正しい方向に矯正していくので、とりあえずはまっすぐに育ってくれればそれでいい。