※注
今回の記事には迂闊につっこめなくなるような箇所があるかもしれませんが、ブログを公開した時点で全てはネタとして捉えているので、うっかりとしんみりされないようにご注意ください。
へたにしんみりせずに毎度のように読み流していただければ幸いです。
明日は父の日である。
時代なのか、東京という土地柄なのか、誰もが責任を取りたくないからなのか、ナツオの通う保育園では「母の日」「父の日」に関するイベントは全くない。
したがって、よくあるような似顔絵やらお手紙やらプレゼントとしての工作などはない。
こんな時代だし、誰が何を言うかわからないので園としては関わりたくないのだろう。
そのために「父の日」が具体的にいつであるかは意識していなかった。
しかし、こんな不寛容な社会にも寛容な世界は存在した。
ジャパニメーションの世界である。
そこにはいつだって、昭和の面影が残されている。
と、前置きが長くなったが、ちびまるこちゃんやサザエさんの番組紹介で明日が父の日だということを認識する。
そうか、父の日か。
どんなことやってきたっけと思い出そうとするのだが、悲しいかな。
思い出がないことに気がつく。
思い出すことと言えば、父の日前における父と母との良く言えば攻防、悪く言えば喧嘩。
何度もこのブログで触れているが、亡くなった父とは物心ついたころから別居しており、基本的には家にいなかった。
ただ、母が生活のこともあって頑なに離婚を拒んでいたので、別れることはせず、月に数回は一緒にご飯を食べていた。
通っていた小学校では父の日前後の土曜日(そう言えば週休2日の時代はまだだった)に父親参観日があり、べただが、「お父さんへ」という名目で作文を読まされていた。
やはり昭和である。
母親としての思いやりなのだろう。
私としては偽りの父親など不要だったのだが、父親がいないと私も弟も寂しくなると思って、父親に参加を促していた。
電話越しや、たまの会食時に、
「イクオとイクオ弟の参観日に参加してやってよ。作文聞く人がいなかったらかわいそうでしょ。」
と言っては、微妙な空気が流れる。
父親は怒鳴ることはなかったが、毎回しぶりだし、それに対して母が頭を下げる。
そんな母親の様子を見ているのもとてもつらかった。
あげく、女好きの父親の気をひくためなのか、「イクオ(又はイクオ弟)の担任は若くてかわいい先生だから、見るだけ見てきたら。」とまで言いいだす始末。
今ならつっこめる。
お願いのしかた間違っていないか!
それにつられてやってくる父も父だが…。
小学校入学から卒業まで毎年のようにこんなやり取りがあったので、「父の日」にはうんざしていた思い出しかない。
だから何かをあげた、とか、何かをしてあげた記憶が全く無い。
そんな私が父親になったので、「正しい父の日のリアクション」がわからないのである。
下手な似顔絵見せられて、「おいおい、お父さんはこんな顔じゃないだろ~」。
みみずのような文字で書かれた手紙を読んで、「おいおい、これじゃあ『お』じゃなくて、『よ』だよ~」。
とかやって、皆でガハハと笑えばいいのだろうか。
「お~い、おかあさん、ビールもう一本。」とか言いながら。
嗚呼タイムマシンで昭和に戻ってお手本に触れてきたい。
だけど我が家には学習机がないので、引き出しに飛び込むこともできない。
しかし、コペルニクス的転回をすると父の日の経験がないということは何色にも染まっていないということ。
私には経験はないが、そういった負の歴史がある。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」
と、かの鉄血宰相も言っておられるではないか。
賢者になるチャンス到来である。
我が家流の「父の日」の思い出を積み上げて行けばいいという、当たり前のことに気付く。
ナツオ@4歳、レンタ@4ヶ月の為にも我が家流の父の日を積み上げて行きたい。
間もなく父の3回忌である。
まだまだ色々な思いがあるので全てを水に流すことはできないが、墓石くらいは水で洗い流してあげるよ。